「いのち会議」とは、「いのち」とは何か、「輝く」とはどういうことか、「誰一人取り残さない」ために何をなすべきかを、あらゆる境を越えて考え、話し合い、それぞれが行動に移す場です。いのち会議 

活動状況|アクションパネル

【開催報告】2024年9月12日(木)、いのち会議 アート・文化・スポーツ アクションパネル「石は、いのちを持ち得るか 万博建築(いのちを持つ庭)を通じて未来を想像する」を開催しました!

2024年9月12日(木)、いのち会議 アート・文化・スポーツ アクションパネル「石は、いのちを持ち得るか 万博建築(いのちを持つ庭)を通じて未来を想像する」を開催しました。話題提供者の方々含め会場に20名が参加しました。以下に概要を報告します。

開会挨拶 堂目 卓生(大阪大学総長補佐、「いのち会議」事業実行委員会副委員長):「『いのち会議』について」

✓ SSIの活動といのちの理念:vulnerable「助けられるいのち」中心の共助社会
✓ いのち会議・いのち宣言:万博のソフトレガシーとして世界へ発信
✓ 子ども時代の長良川の河原の石の思い出

梅野 星歩(庭園デザイナー 株式会社会社梅鉢園 代表取締役)「石は いのちを持ち得るか 万博建築(いのちを持つ庭)を通じて未来を想像する」

✓ 庭園を中心とした空間プロデュース:世界中でデモンストレーション、文化交流
✓ 上海万博跡地の日本庭園のプロデュース:Cultivateとしての文化(Culture)
✓ 「徳=長所」:長所を持ち寄って集まる生態系としての庭作り→誰も取り残さない
*論語と算盤、理念と経済、『道徳感情論』と『国富論』
✓ 庭を通じた理念・思想の可視化:松下幸之助と根源の社
*Niwa13.0:歴史上常に庭と社会課題は結び付いて展開、現代はWeb上でも展開
✓ なぜ庭師になったのか:3つの命(生命・人生・生活)、日常と非日常、アイデンティティの危機→過去・現在・未来を繋ぐ空間としての庭、再確認するための場
✓ 万博:いのちを中心に、平和、科学・技術、文化など様々な価値を再確認する機会
*祭:複数の要素が混ざり合う非日常の場・システムの重要性

竹村 優里佳(Yurica Design and Architecture 代表)「石に宿るいのちを感じる庭:自然とテクノロジーが融合する建築の試み」

✓ 石の持つ普遍性・多様性:自然や地球環境と共にある建築について考え・実践へ
✓ 今既にある価値を引き出す建築:西洋的なピラミッド的な神-人間-自然の関係ではなく、人間と自然を渾然一体に捉える日本的自然観に基づく設計理念に基づいて万博の建築を実施
✓ 近代建築に用いられる綺麗にカットされた石ではなく、石そのものの形を活かすことで、より多くの情報が伝わり、人間の感覚を取りもどすことの出来る空間に
✓ 現代における「祭」としての建築:400年前の大阪城のように祭として石を運ぶ
*残念石(大阪城再建工事を行った際に使われなかった石垣用の巨石)の再利用
✓ 「自然の石」と「ひとが残した痕跡」が残る、残念石のもつ「いのち」が建築に取り込まれ、来場者の様々な感性や知覚に訴えかける
⇒ 建築にすることでいかに石と人の関係性・価値を顕在化させられるかという挑戦
(本動画は、当日の講演から一部抜粋しています。)

パネルディスカッション

✓ スモールビジネスとソーシャルインパクト:必ずしも単体でソーシャルインパクトのあることが重要ではなく、それぞれの活動・人々がつながることが出来る場があることが重要(梅野)
✓ 様々ないのちの形:非生命体にも「いのち」が存在すると考えていいのか(竹村)
→現状科学的に証明出来るわけではないが、宇宙の誕生にまで溯って考えると人間も石も同じ起源を持っていると考える事ができるのではないか。そしてそうした考え方が空海の生命観と似ている部分がある(堂目)
✓ イマジネーションも含めてモノにもいのちが宿っていると考えられる人類の特性。その根幹にあるリテラシーや道徳などを通じた共感を確認する(いのちを宿す)作業・アクティビティがハード・ソフト両面であれば(梅野)
→作業をしていても明らかに石の持ついのちの種類・力の違いを感じる。並べる順番や位置などで違いもでる。そうした事を感じられる職人さんが減ってきている中で、テクノロジーも使いながら様々ないのちの感じられ方ができそうな空間をプロデュースする作業を行ってきたが、それが「いのちを宿す」行為だったかもしれない(竹村)
✓ モノに込められたいのちは作者を通じて込められるのか、それともモノ自体が持っているものなのか。いずれにしても近代を超える上で、人々の感覚をひらいていくことで「いのち」を感じられるようになることが重要ではないか(堂目)